労働における時間論考(時間が欲しい)
本日もありがとうございます(*^^)
さて、本日は「仕事に拘束される時間」について私の思うことを書こうと思います。
拘束…っていう言葉がよくないですね。でも今回はこのままで通します。
※めっちゃ極論だしあくまで持論なので、そこらへんご了承願います♡
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私の勤務時間は9~17時です。一般的な事務員です。
今いる部署は残業が発生することもめったになく、17時半には職場を出ることができます。
ただ、私は「仕事に拘束される時間」は9~17時の8時間だけではないと思っています。
朝起きる時間から、拘束は始まっていると最近考えるわけです。
なぜなら「仕事のために」起床時間を設定しているからです。
「仕事のために」化粧をし、「仕事のために」駅に向かい、「仕事のために」電車に乗る。
それは帰宅してからも続きます。
明日の「仕事のために」寝る時間を考える。明日の「仕事のために」お弁当の準備をする。
例えば、起床時間が6時だとして帰宅時間が18時だとすると、1日のうち12時間は仕事を中心に時間を使っていると考えるわけです、私は。
そうすると、残りは12時間ですね。
そこから睡眠時間を考慮すると、例えば睡眠時間が7時間だとすると、12-7=5で帰宅してから5時間しか「仕事のため」以外の時間がありません。
その5時間の中で日々の家事も片付けるわけですね。
夕食の準備をし、食べ、翌日のお弁当を作り(前日に作る派)、食器を洗い、洗濯し、お風呂を洗い、お風呂に入り、髪を乾かすわけ(家事?)です。
これだけでも3時間近くはかかります。
そうすると、2時間くらいしかないわけです、真の自由時間が。
(ほんとに極端な話ですけどね笑)
06時~08時 起床・出勤準備
08時~09時 出勤
09時~17時 勤務
17時~18時 帰宅
18時~21時 家事やら食事やらお風呂やら
21時~23時 自由時間
23時~06時 睡眠
こう見るとね、自由時間と睡眠時間以外は「仕事のための時間」といっても過言ではない気がするんです。
これに残業がプラスなんかされた日には、大変なことになります。
ほぼずっと仕事のために生きることになる。
月曜日から金曜日まで24時間×5日間=120時間あります。
その内で、真の自由時間は2時間×5日間=10時間しかないんですよ。
え、これ驚愕の事実じゃないですか?
「私は24時間中のほとんどの時間を費やすほど、今の仕事に価値を見出せているか」と最近考えてしまうのです。
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数年前は今とは違う部署で働いていました。
猛烈に激務で、毎日22時頃まで働いていました。もうあんな生活死んでもごめんです。
あの頃はまだ実家住まいだったとはいえ、よくあんな生活できたなと驚きます。
今、こんなに悠長に「今の仕事に価値が~」なんて考えられるのは、よほど私自身に余裕があるからだと思います。
お給料もちゃんともらえて、ボーナスもありがたく頂けて、有休もちゃんと取れて、人間関係もそこまで問題ない、傍から見たら文句のない良い職場です。
ただ、最近ふと「この建物の中に、仕事が楽しいと思いながら過ごしている人は何人いるだろう」と考えてしまうのです。
立ち止まって「ん?待てよ…」と考える人がどれだけいるか。
職場に文句があるのではありません。
でも、私でなくてもいいこのポジションに、このまま定年まで30年以上居続けるのに疑問を感じているのです。
ここで学べることはまだまだあるのかもしれないけれど、それが私の求めているものなのかどうか。
2時間の自由時間を「どう有効に使うか」とポジティブに考えるか、
それとも全く別の方法で24時間を使うことを考えるか、
はたまた考えることを放棄してこのまま過ごしていくか。
今の私には、自分自身に集中して向き合う時間が必要なんです。毎日の2時間だけじゃ全然足りない。
通勤時間やお昼休憩にも考えるけれど、それでも全く足りない。
「時間は作るものだ」とか「もっと効率よくすべきだ」とか「量より質だ」とか、いろんな考えがあると思います。
確かに私は器用な人間ではないし、時間の使い方もうまくない。
それでも、今の私にはもっと時間が欲しい。今だけは「量も大事!」なのです。
もっと私には見たいもの、聞きたいこと、知りたいことがたくさんあるはずなんです。
それにたっぷりと時間を使って生きていきたい。
「今すぐに転職したいんだ!」とかいう話ではないですが、こんな心境になるのが自分自身でも不思議だったので、残しておきたくなりました。
今までこんなこと考えることなかったから。
ここ1ヵ月くらいの自分の思考の変化が凄まじくて、自分に自分が追い付いていないです。
「24時間どこ切り取ってもハッピー!」といつか言えるように、今はとことん考え抜きたいと思います。
本日もありがとうございます。
では、ごきげんよう。